2014年6月22日日曜日

『蜩の記』を読んで死に臨む覚悟について考えた

 神戸で開催された緩和医療学会へは、電車で通って行きました。京都の自宅からだと片道二時間くらいかかります。この間に、葉室麟の『蜩(ひぐらし)の記』kindle版で読みました。

 戸田秋谷は、藩主の側室との不義密通の罪で十年後の切腹と家譜の編さんを命ぜられて、向山村に幽閉されています。
 切腹まであと三年というときに、檀野庄三郎が、見張り役として秋谷の元に派遣されます。庄三郎は、秋谷と寝食を共にするうちに、秋谷に対して敬愛の念を抱くようになっていきます。
 また、側室との不義密通疑惑についても、ミステリー仕立ての展開で真相が次第に明かされていくので、物語にぐいぐい引き込まれていきます。
 『蜩の記』は、2012年に直木賞を受賞し、今年の秋には映画化されることになりました。戸田秋谷に役所広司、檀野庄三郎に岡田准一と配役が決まっているので、二人の顔を当てはめながら小説を楽しめました。
 

 この『蜩の記』の中で、あと数週間後に切腹をひかえた秋谷が、家譜を完成させて向山村の禅寺の慶仙和尚に会いに行く場面があります。和尚から「ならば、もはや思い残すことはないか」と訊かれたとき、秋谷は「もはや、この世に未練はござりませぬ」と答えます。それに対して…

「さて、それはいかぬな。まだ、覚悟が足らぬようじゃ」
 慶仙は顔をしかめた。秋谷は片頬をゆるめた。
「ほう、覚悟が足りませぬか」
「未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」
「なるほど、さようなものでござりまするか」
 秋谷は考えを巡らすように中庭に目を遣った。

 死期の迫った人が「もはや思い残すことはない」と言うのは、言われた者にとっては傲慢に聞こえる場合があるのかもしれない。たとえば配偶者、子どもたち、恋人や友人が、「もう未練はない」と言われると、突き放されたようで、辛くなるのかもしれないな、と『蜩の記』を読み終えて感じました。


ポルチーニ茸のタリアテッレ(チーズ味)

 今夜は、千本三条のカ・デル・ヴィアーレに妻と行きました。
 イタリアから届いたばかりのポルチーニ茸をシェフから勧められて、コース料理の中にポルチーニ茸のタリアテッレを入れていただきました。フレッシュなポルチーニ茸は何とも言えない食感があり、おいしくいただきました。





 店には、もうすぐ二十歳になるという息子さんも出ておられました。今年、イタリアに料理の修業に出るとのことでした。
渡辺シェフ(左)とご長男(右)






0 件のコメント:

コメントを投稿