2014年7月10日木曜日

無力であることの大切さ

 病棟のカンファレンス室の本棚に置いてあった『死をみとる1週間』(医学書院)という本の中に、S. Cassidyという人の言葉が紹介されていたのを見つけました。

 「無力であることの大切さを、私は徐々に学びました。
  そのことを私は自分の人生や仕事から体験しました。
  死にゆく人は、われわれは神ではないことを知っています。
  ただ、見捨てないで欲しいことを願っているのです」

 死にゆく人を「見捨てない」というのは、どういうことでしょうか?

 死期が迫っても朝夕の診察に病室を訪れることも、そのひとつかもしれません。
 先日の緩和医学会では、患者さんと、ごく普通の日常的な会話(例をあげておられたのは、病院の近所にあるケーキ屋のチーズケーキがおいしかったわよ、というような会話)をかわすことも大事だと言われていました。
 病院に入院していても、普段の生活に関する話をすることによって、患者さんは「人間らしさ」を取り戻せるのだそうです。

2014年7月7日月曜日

マネる技術と学習サイクル

 コロッケが本を書いたというので、さっそく読んでみました。

 コロッケ『マネる技術』[講談社+α新書]です。テレビなどで見る、ちょっとふざけた態度と違って、実に真面目に書かれていました。

 この中で、「まねる」とは、四つの段階からなる、と解説されている箇所があります。
 
 ①観る(理解する)
 ②観て考える(洞察する)
 ③自分なりにアレンジを加える
 ④独自の表現を試みる

 この解説を読んでいて、これはコルブの経験学習モデルと似ているな、と思いました。コルブは、たとえば医師の初期研修のように経験を通して技術等を身につけるような場合、その学習過程には四つの段階があると分析しました。すなわち、①具体的な経験をし(具体的な経験)、②その内容を振り返って内省することで(内省的な観察)、③そこから得られた教訓を抽象的な仮説や概念に落とし込み(抽象的な概念化)、④それを新たな状況に適用する(積極的な実験)という四段階によって、個人は学習します。
コルブの経験学習モデル
松尾睦『経験からの学習』[同文舘出版]より

 コロッケさんの場合は、①具体的な経験は、徹底的な観察です。第一印象で判断せずに、マネたいと感じた対象を細かい部分まで観察するのだそうです。その上で、その人の本質を見抜くまで考える、これを彼は「洞察する」と表現しましたが、経験学習の場合は「内省」にあたります。さらに、ここでちょっとした仕草を強調したりして、アレンジを加えるためには、対象をいったん「実物」と切り離して抽象化することが必要です。彼は「アレンジを加える」と表現していますが、これが第三段階。そして、最後に独自の表現を積極的な実験として試みる。
 これは、まさにコルブの経験学習モデルそのものですね。

 徹底的に対象を観察するという姿勢は、医師も見習わなければならないな、と思いました。検査データや画像にばかり気をとられず、患者そのものを十分に観察するのは、経験学習の第一歩です。患者の第一印象で判断しないことも大事です。患者の言葉は、その言葉通りの意味ではないこともあります。その真意を汲みとることも必要なので、内省はかかせません。
 経験の垂れ流しにならないように、ひとつひとつの症例を大切にしていきたいと考えています。

2014年7月3日木曜日

東洋医学と緩和医療

 6月27日〜29日に東京で開催された、第65回日本東洋医学会学術総会に参加しました。

 今回が初めての参加でしたが、今後緩和医療をしていく上で、示唆に富んだ話がたくさん聞けました。今年の総会では、東洋医学の専門医を育てるためのベーシック・セミナーが用意されており、その総論の中で東洋医学をめぐる現状について触れられていました。

 日本では、明治7年(1874年)に、西洋医学をわが国の正式な医学とするという医制が定められました。その結果、江戸時代まで続いていた東洋医学・漢方は、主流とみなされなくなったのだそうです。しかしながら、WHOによれば、全世界で西洋医学を健康管理のための医学としているのは、全人口の40%程度で、あとの60%は東洋医学を含む「その他の医学」に依存しているということでした。
 そして、20世紀までは、西洋医学と東洋医学のどちらがすぐれているか、といった内容の議論が盛んでしたが、現在では、双方のよいところを取り入れる、という方向に考え方がシフトしてきているのだそうです。
 たとえば、外科的な治療については、西洋医学的アプローチの方が優れているかもしれません。しかし、「何となくだるい」「食欲がない」といった漠然とした訴え(不定愁訴など)の症状に対しては、西洋医学は無力です。しかし、こうした症状に対しても漢方的アプローチは可能なのです。
 緩和ケアの中にも「食欲不振」「倦怠感」といった西洋医学では扱いづらい症状があります。また、先日の緩和医療学会の教育セミナーにおいても、放射線治療における副作用に対して、漢方薬を積極的に使っているドクターがおられました。

 患者へのアプローチの仕方も、東洋医学では、気・血・水の流れの異常というとらえ方をしており、一人の人間の身体と精神を相互に関連するものと考えています。これは、緩和ケアにおいて、全人的医療を進めようとしている方向性と同じものだと言えそうです。

 さらに、最終日のランチョンセミナーで聞いた、鍼灸治療にも開眼しました。中国や台湾ばかりではなく、ドイツなどでも、針治療は痛みの治療として積極的に取り入れられているそうです。ドイツでペインクリニックをしている麻酔科医は、「患者のためになるものなら、何でも取り入れるのだ」という態度で治療にのぞんでいるのだそうです。鍼灸治療の緩和医療への応用可能性についても興味が湧いてきました。
 (付記:展示会場でもらったサンプルのパイオネックス[セイリン(株)]という円皮鍼を、慢性の肩こり・頭痛に悩まされている妻に試したところ、肩こりが軽快したので、ますますその効果に興味がもてたのでした)

2014年6月24日火曜日

雑草考

 夕方、遠雷を聞きながら、もう少ししたらにわか雨が降るかも…と期待していましたが、しおれた葉を見ているうちに待ちきれなくなって水遣りを始めてしまいました。


 わが家の庭は、あまり手入れされておらず、いわゆる「雑草」がたくさん生えています。でも、どこからどこまでが「雑草」なのか?植えた覚えのない植物が「雑草」なのか、人の生活において役に立たないのが「雑草」なのか、見た目の悪い植物が「雑草」なのか…。
 レスリー・ブレムネス編『ハーブ事典』(文化出版局)によると、「昔、人間にとって、およそすべての植物が大切なものだった。植物は大地の女神の生んだ子とされ、、神聖で尊いものだった。だが、近代、工業化社会に入り、科学技術が進歩すると、自然に対する畏敬の念は薄れていき、「ハーブ」という語の意味もせばまり、その結果、今ではハーブというと、せいぜい数十種類程度の植物を指すようになってしまっている」とあります。

 どうやら、「雑草」か否かという基準は、人間のご都合によるところが大きいようです。ハーブと呼ばれる植物は、香りや薬効など、「人間の役に立つ」面をそなえているものを指すようです。わが家の庭にも、パセリ、ローズマリー、タイムというハーブが植わっています。(あと、セージがあれば、サイモンとガーファンクルの「スカボロー・フェア」に出てくるハーブが揃いますね)これらのハーブは、どれも料理に使うものです。
 ご近所の植え込みには、ジギタリスが植わっています。こちらは、強心剤としての薬効をもっていますが、家庭ではあくまで観賞用として育てられています。
 



 それまで、「雑草」だと考えられていた植物が、ある日人間の役に立つ成分をもっていることが見出されたら、その「雑草」は、もはや「雑草」ではなく、「ハーブ」ないし「薬草」と呼ばれるようになるのでしょうか?

2014年6月23日月曜日

新薬師寺での定点観察

 今日ようやく、念願の新薬師寺行きが果たせました。

 東大寺や若草山は、月曜日にもかかわらず、大勢の観光客や修学旅行生でにぎわっていましたが、奈良公園から少し南東にはずれたところに位置する新薬師寺には、訪れる人もあまりありませんでした。

新薬師寺本堂
この中に薬師如来と十二神将がいます

 本堂に入って目が暗さに慣れてくると、薬師如来の周りを囲む十二神将像がしっかりと見えてきました。今では塑像の地肌も見えて色褪せていますが、出来た当時はけっこう派手な彩色だったそうです。

軒先も美しい

 この新薬師寺は、病弱で眼病を患っていた聖武天皇の病気平癒のために、光明皇后が建立されたとされています。今から1200年以上も前の話です。元は、現在の敷地の7〜8倍の広さがあったそうですが、落雷や嵐、焼き討ちなどでほとんどの建物が失われ、今では本堂(元は食堂だった?)だけが残り、ここに他の寺から移された十二神将がまつられています。
 薬師如来は心身の障害を癒す働きを持っているとされているので、今で言えば医者のような存在だったようです。

 実は、今から数年前に、薬師如来を病院長に見立て、その周りを各科の部長やスタッフが守護するという漫画を描いたことがあります。このときは、十二神将の実物をまだ見たことがなく、写真だけを頼りに描きました。

 この時以来、いつかは本物の十二神将を見たいものだと思っていました。
病院の秋の文化祭のために描いた漫画

 今日、薬師如来と十二神将の周りを何度も回って眺めながら、毎年一度ここを訪れて、その時々の自分の立ち位置を振り返ってみるのも面白いかもしれないな、と思いつきました。
 今回は第一年目で、麻酔科医から緩和医へギアチェンジをしようとしている転機の年。
 二年後、三年後…新薬師寺を訪れてみたとき、十二神将の前で何を考えているか、自分の思いを「定点観察」してみるのも面白いかもしれません。
十二神将の一人、因達羅(インダラ)の絵葉書。
毎年一人ずつの絵葉書を集めてみようかしら?

2014年6月22日日曜日

『蜩の記』を読んで死に臨む覚悟について考えた

 神戸で開催された緩和医療学会へは、電車で通って行きました。京都の自宅からだと片道二時間くらいかかります。この間に、葉室麟の『蜩(ひぐらし)の記』kindle版で読みました。

 戸田秋谷は、藩主の側室との不義密通の罪で十年後の切腹と家譜の編さんを命ぜられて、向山村に幽閉されています。
 切腹まであと三年というときに、檀野庄三郎が、見張り役として秋谷の元に派遣されます。庄三郎は、秋谷と寝食を共にするうちに、秋谷に対して敬愛の念を抱くようになっていきます。
 また、側室との不義密通疑惑についても、ミステリー仕立ての展開で真相が次第に明かされていくので、物語にぐいぐい引き込まれていきます。
 『蜩の記』は、2012年に直木賞を受賞し、今年の秋には映画化されることになりました。戸田秋谷に役所広司、檀野庄三郎に岡田准一と配役が決まっているので、二人の顔を当てはめながら小説を楽しめました。
 

 この『蜩の記』の中で、あと数週間後に切腹をひかえた秋谷が、家譜を完成させて向山村の禅寺の慶仙和尚に会いに行く場面があります。和尚から「ならば、もはや思い残すことはないか」と訊かれたとき、秋谷は「もはや、この世に未練はござりませぬ」と答えます。それに対して…

「さて、それはいかぬな。まだ、覚悟が足らぬようじゃ」
 慶仙は顔をしかめた。秋谷は片頬をゆるめた。
「ほう、覚悟が足りませぬか」
「未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」
「なるほど、さようなものでござりまするか」
 秋谷は考えを巡らすように中庭に目を遣った。

 死期の迫った人が「もはや思い残すことはない」と言うのは、言われた者にとっては傲慢に聞こえる場合があるのかもしれない。たとえば配偶者、子どもたち、恋人や友人が、「もう未練はない」と言われると、突き放されたようで、辛くなるのかもしれないな、と『蜩の記』を読み終えて感じました。


ポルチーニ茸のタリアテッレ(チーズ味)

 今夜は、千本三条のカ・デル・ヴィアーレに妻と行きました。
 イタリアから届いたばかりのポルチーニ茸をシェフから勧められて、コース料理の中にポルチーニ茸のタリアテッレを入れていただきました。フレッシュなポルチーニ茸は何とも言えない食感があり、おいしくいただきました。





 店には、もうすぐ二十歳になるという息子さんも出ておられました。今年、イタリアに料理の修業に出るとのことでした。
渡辺シェフ(左)とご長男(右)






2014年6月21日土曜日

ホール・パーソン・ケアとは

 金曜日は日本緩和医療学会の二日目。カナダ、マギール大学のハッチンソン先生の講演が面白かった。
 
 演題は、「Whole person care」


 ハッチンソン先生は、ギリシャのモザイク画を呈示して説明されていた。右側の患者は、病気をもって医師の元にやって来る。左の岩陰にいるのが医師ヒポクラテスである。そして、河の上の舟に乗っているのが、ギリシャ神話に出てくる医神アスクレピオス。この二人は、患者のかかえる病いに対して、ヒポクラテスは病気を治し(Cure)、アスクレピオスは患者を癒す(Heal)、という役割分担をしている。


 現代社会においては、医療者は病気を治すと同時に患者を癒さなければならない。しかしながら、往々にして治すことと癒すことは別々の能力である。
 ヒポクラテス的側面は、患者を治す、医師は治療の内容を明示する、医師は患者と意識的に関わる、やっている治療は科学的である、そして結果は実際に示される、といった言葉で表現される。
 一方のアスクレピオス的側面は、患者を癒す、医師は患者との関係を重視する、医師は患者と無意識のレベルで接する、やっていることはアート(芸術・技術)であり、その結果はプラセボのようである。

 アスクレピオス的側面は、言葉にしにくくて曖昧な感じがするが、本来、医療者は患者に接するときにはヒポクラテス的側面と同時に、アスクレピオス的側面をそなえているべきだ、とハッチンソン先生は強調されていた。二つの側面は相反するものではなく、相乗効果的に働くものなのだそうだ。

 ハッチンソン先生は、昼のランチョンセミナーでも講演をされたが、このとき座長をされていたのが恒藤暁先生だった。恒藤先生はカナダの学会でハッチンソン先生に出会い、彼の著書”Whole Person Care : A New Paradigm for the 21st Century”を読んで感銘を受けたと紹介の中で述べられていた。来年か再来年には翻訳書を出版して下さるそうだが、待ちきれないので、家に帰って、さっそく注文をしてしまった。
機器展示・ポスター会場では
学会プログラムを手に記念撮影する姿も見受けられた。