2014年7月10日木曜日

無力であることの大切さ

 病棟のカンファレンス室の本棚に置いてあった『死をみとる1週間』(医学書院)という本の中に、S. Cassidyという人の言葉が紹介されていたのを見つけました。

 「無力であることの大切さを、私は徐々に学びました。
  そのことを私は自分の人生や仕事から体験しました。
  死にゆく人は、われわれは神ではないことを知っています。
  ただ、見捨てないで欲しいことを願っているのです」

 死にゆく人を「見捨てない」というのは、どういうことでしょうか?

 死期が迫っても朝夕の診察に病室を訪れることも、そのひとつかもしれません。
 先日の緩和医学会では、患者さんと、ごく普通の日常的な会話(例をあげておられたのは、病院の近所にあるケーキ屋のチーズケーキがおいしかったわよ、というような会話)をかわすことも大事だと言われていました。
 病院に入院していても、普段の生活に関する話をすることによって、患者さんは「人間らしさ」を取り戻せるのだそうです。

2014年7月7日月曜日

マネる技術と学習サイクル

 コロッケが本を書いたというので、さっそく読んでみました。

 コロッケ『マネる技術』[講談社+α新書]です。テレビなどで見る、ちょっとふざけた態度と違って、実に真面目に書かれていました。

 この中で、「まねる」とは、四つの段階からなる、と解説されている箇所があります。
 
 ①観る(理解する)
 ②観て考える(洞察する)
 ③自分なりにアレンジを加える
 ④独自の表現を試みる

 この解説を読んでいて、これはコルブの経験学習モデルと似ているな、と思いました。コルブは、たとえば医師の初期研修のように経験を通して技術等を身につけるような場合、その学習過程には四つの段階があると分析しました。すなわち、①具体的な経験をし(具体的な経験)、②その内容を振り返って内省することで(内省的な観察)、③そこから得られた教訓を抽象的な仮説や概念に落とし込み(抽象的な概念化)、④それを新たな状況に適用する(積極的な実験)という四段階によって、個人は学習します。
コルブの経験学習モデル
松尾睦『経験からの学習』[同文舘出版]より

 コロッケさんの場合は、①具体的な経験は、徹底的な観察です。第一印象で判断せずに、マネたいと感じた対象を細かい部分まで観察するのだそうです。その上で、その人の本質を見抜くまで考える、これを彼は「洞察する」と表現しましたが、経験学習の場合は「内省」にあたります。さらに、ここでちょっとした仕草を強調したりして、アレンジを加えるためには、対象をいったん「実物」と切り離して抽象化することが必要です。彼は「アレンジを加える」と表現していますが、これが第三段階。そして、最後に独自の表現を積極的な実験として試みる。
 これは、まさにコルブの経験学習モデルそのものですね。

 徹底的に対象を観察するという姿勢は、医師も見習わなければならないな、と思いました。検査データや画像にばかり気をとられず、患者そのものを十分に観察するのは、経験学習の第一歩です。患者の第一印象で判断しないことも大事です。患者の言葉は、その言葉通りの意味ではないこともあります。その真意を汲みとることも必要なので、内省はかかせません。
 経験の垂れ流しにならないように、ひとつひとつの症例を大切にしていきたいと考えています。

2014年7月3日木曜日

東洋医学と緩和医療

 6月27日〜29日に東京で開催された、第65回日本東洋医学会学術総会に参加しました。

 今回が初めての参加でしたが、今後緩和医療をしていく上で、示唆に富んだ話がたくさん聞けました。今年の総会では、東洋医学の専門医を育てるためのベーシック・セミナーが用意されており、その総論の中で東洋医学をめぐる現状について触れられていました。

 日本では、明治7年(1874年)に、西洋医学をわが国の正式な医学とするという医制が定められました。その結果、江戸時代まで続いていた東洋医学・漢方は、主流とみなされなくなったのだそうです。しかしながら、WHOによれば、全世界で西洋医学を健康管理のための医学としているのは、全人口の40%程度で、あとの60%は東洋医学を含む「その他の医学」に依存しているということでした。
 そして、20世紀までは、西洋医学と東洋医学のどちらがすぐれているか、といった内容の議論が盛んでしたが、現在では、双方のよいところを取り入れる、という方向に考え方がシフトしてきているのだそうです。
 たとえば、外科的な治療については、西洋医学的アプローチの方が優れているかもしれません。しかし、「何となくだるい」「食欲がない」といった漠然とした訴え(不定愁訴など)の症状に対しては、西洋医学は無力です。しかし、こうした症状に対しても漢方的アプローチは可能なのです。
 緩和ケアの中にも「食欲不振」「倦怠感」といった西洋医学では扱いづらい症状があります。また、先日の緩和医療学会の教育セミナーにおいても、放射線治療における副作用に対して、漢方薬を積極的に使っているドクターがおられました。

 患者へのアプローチの仕方も、東洋医学では、気・血・水の流れの異常というとらえ方をしており、一人の人間の身体と精神を相互に関連するものと考えています。これは、緩和ケアにおいて、全人的医療を進めようとしている方向性と同じものだと言えそうです。

 さらに、最終日のランチョンセミナーで聞いた、鍼灸治療にも開眼しました。中国や台湾ばかりではなく、ドイツなどでも、針治療は痛みの治療として積極的に取り入れられているそうです。ドイツでペインクリニックをしている麻酔科医は、「患者のためになるものなら、何でも取り入れるのだ」という態度で治療にのぞんでいるのだそうです。鍼灸治療の緩和医療への応用可能性についても興味が湧いてきました。
 (付記:展示会場でもらったサンプルのパイオネックス[セイリン(株)]という円皮鍼を、慢性の肩こり・頭痛に悩まされている妻に試したところ、肩こりが軽快したので、ますますその効果に興味がもてたのでした)

2014年6月24日火曜日

雑草考

 夕方、遠雷を聞きながら、もう少ししたらにわか雨が降るかも…と期待していましたが、しおれた葉を見ているうちに待ちきれなくなって水遣りを始めてしまいました。


 わが家の庭は、あまり手入れされておらず、いわゆる「雑草」がたくさん生えています。でも、どこからどこまでが「雑草」なのか?植えた覚えのない植物が「雑草」なのか、人の生活において役に立たないのが「雑草」なのか、見た目の悪い植物が「雑草」なのか…。
 レスリー・ブレムネス編『ハーブ事典』(文化出版局)によると、「昔、人間にとって、およそすべての植物が大切なものだった。植物は大地の女神の生んだ子とされ、、神聖で尊いものだった。だが、近代、工業化社会に入り、科学技術が進歩すると、自然に対する畏敬の念は薄れていき、「ハーブ」という語の意味もせばまり、その結果、今ではハーブというと、せいぜい数十種類程度の植物を指すようになってしまっている」とあります。

 どうやら、「雑草」か否かという基準は、人間のご都合によるところが大きいようです。ハーブと呼ばれる植物は、香りや薬効など、「人間の役に立つ」面をそなえているものを指すようです。わが家の庭にも、パセリ、ローズマリー、タイムというハーブが植わっています。(あと、セージがあれば、サイモンとガーファンクルの「スカボロー・フェア」に出てくるハーブが揃いますね)これらのハーブは、どれも料理に使うものです。
 ご近所の植え込みには、ジギタリスが植わっています。こちらは、強心剤としての薬効をもっていますが、家庭ではあくまで観賞用として育てられています。
 



 それまで、「雑草」だと考えられていた植物が、ある日人間の役に立つ成分をもっていることが見出されたら、その「雑草」は、もはや「雑草」ではなく、「ハーブ」ないし「薬草」と呼ばれるようになるのでしょうか?

2014年6月23日月曜日

新薬師寺での定点観察

 今日ようやく、念願の新薬師寺行きが果たせました。

 東大寺や若草山は、月曜日にもかかわらず、大勢の観光客や修学旅行生でにぎわっていましたが、奈良公園から少し南東にはずれたところに位置する新薬師寺には、訪れる人もあまりありませんでした。

新薬師寺本堂
この中に薬師如来と十二神将がいます

 本堂に入って目が暗さに慣れてくると、薬師如来の周りを囲む十二神将像がしっかりと見えてきました。今では塑像の地肌も見えて色褪せていますが、出来た当時はけっこう派手な彩色だったそうです。

軒先も美しい

 この新薬師寺は、病弱で眼病を患っていた聖武天皇の病気平癒のために、光明皇后が建立されたとされています。今から1200年以上も前の話です。元は、現在の敷地の7〜8倍の広さがあったそうですが、落雷や嵐、焼き討ちなどでほとんどの建物が失われ、今では本堂(元は食堂だった?)だけが残り、ここに他の寺から移された十二神将がまつられています。
 薬師如来は心身の障害を癒す働きを持っているとされているので、今で言えば医者のような存在だったようです。

 実は、今から数年前に、薬師如来を病院長に見立て、その周りを各科の部長やスタッフが守護するという漫画を描いたことがあります。このときは、十二神将の実物をまだ見たことがなく、写真だけを頼りに描きました。

 この時以来、いつかは本物の十二神将を見たいものだと思っていました。
病院の秋の文化祭のために描いた漫画

 今日、薬師如来と十二神将の周りを何度も回って眺めながら、毎年一度ここを訪れて、その時々の自分の立ち位置を振り返ってみるのも面白いかもしれないな、と思いつきました。
 今回は第一年目で、麻酔科医から緩和医へギアチェンジをしようとしている転機の年。
 二年後、三年後…新薬師寺を訪れてみたとき、十二神将の前で何を考えているか、自分の思いを「定点観察」してみるのも面白いかもしれません。
十二神将の一人、因達羅(インダラ)の絵葉書。
毎年一人ずつの絵葉書を集めてみようかしら?

2014年6月22日日曜日

『蜩の記』を読んで死に臨む覚悟について考えた

 神戸で開催された緩和医療学会へは、電車で通って行きました。京都の自宅からだと片道二時間くらいかかります。この間に、葉室麟の『蜩(ひぐらし)の記』kindle版で読みました。

 戸田秋谷は、藩主の側室との不義密通の罪で十年後の切腹と家譜の編さんを命ぜられて、向山村に幽閉されています。
 切腹まであと三年というときに、檀野庄三郎が、見張り役として秋谷の元に派遣されます。庄三郎は、秋谷と寝食を共にするうちに、秋谷に対して敬愛の念を抱くようになっていきます。
 また、側室との不義密通疑惑についても、ミステリー仕立ての展開で真相が次第に明かされていくので、物語にぐいぐい引き込まれていきます。
 『蜩の記』は、2012年に直木賞を受賞し、今年の秋には映画化されることになりました。戸田秋谷に役所広司、檀野庄三郎に岡田准一と配役が決まっているので、二人の顔を当てはめながら小説を楽しめました。
 

 この『蜩の記』の中で、あと数週間後に切腹をひかえた秋谷が、家譜を完成させて向山村の禅寺の慶仙和尚に会いに行く場面があります。和尚から「ならば、もはや思い残すことはないか」と訊かれたとき、秋谷は「もはや、この世に未練はござりませぬ」と答えます。それに対して…

「さて、それはいかぬな。まだ、覚悟が足らぬようじゃ」
 慶仙は顔をしかめた。秋谷は片頬をゆるめた。
「ほう、覚悟が足りませぬか」
「未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」
「なるほど、さようなものでござりまするか」
 秋谷は考えを巡らすように中庭に目を遣った。

 死期の迫った人が「もはや思い残すことはない」と言うのは、言われた者にとっては傲慢に聞こえる場合があるのかもしれない。たとえば配偶者、子どもたち、恋人や友人が、「もう未練はない」と言われると、突き放されたようで、辛くなるのかもしれないな、と『蜩の記』を読み終えて感じました。


ポルチーニ茸のタリアテッレ(チーズ味)

 今夜は、千本三条のカ・デル・ヴィアーレに妻と行きました。
 イタリアから届いたばかりのポルチーニ茸をシェフから勧められて、コース料理の中にポルチーニ茸のタリアテッレを入れていただきました。フレッシュなポルチーニ茸は何とも言えない食感があり、おいしくいただきました。





 店には、もうすぐ二十歳になるという息子さんも出ておられました。今年、イタリアに料理の修業に出るとのことでした。
渡辺シェフ(左)とご長男(右)






2014年6月21日土曜日

ホール・パーソン・ケアとは

 金曜日は日本緩和医療学会の二日目。カナダ、マギール大学のハッチンソン先生の講演が面白かった。
 
 演題は、「Whole person care」


 ハッチンソン先生は、ギリシャのモザイク画を呈示して説明されていた。右側の患者は、病気をもって医師の元にやって来る。左の岩陰にいるのが医師ヒポクラテスである。そして、河の上の舟に乗っているのが、ギリシャ神話に出てくる医神アスクレピオス。この二人は、患者のかかえる病いに対して、ヒポクラテスは病気を治し(Cure)、アスクレピオスは患者を癒す(Heal)、という役割分担をしている。


 現代社会においては、医療者は病気を治すと同時に患者を癒さなければならない。しかしながら、往々にして治すことと癒すことは別々の能力である。
 ヒポクラテス的側面は、患者を治す、医師は治療の内容を明示する、医師は患者と意識的に関わる、やっている治療は科学的である、そして結果は実際に示される、といった言葉で表現される。
 一方のアスクレピオス的側面は、患者を癒す、医師は患者との関係を重視する、医師は患者と無意識のレベルで接する、やっていることはアート(芸術・技術)であり、その結果はプラセボのようである。

 アスクレピオス的側面は、言葉にしにくくて曖昧な感じがするが、本来、医療者は患者に接するときにはヒポクラテス的側面と同時に、アスクレピオス的側面をそなえているべきだ、とハッチンソン先生は強調されていた。二つの側面は相反するものではなく、相乗効果的に働くものなのだそうだ。

 ハッチンソン先生は、昼のランチョンセミナーでも講演をされたが、このとき座長をされていたのが恒藤暁先生だった。恒藤先生はカナダの学会でハッチンソン先生に出会い、彼の著書”Whole Person Care : A New Paradigm for the 21st Century”を読んで感銘を受けたと紹介の中で述べられていた。来年か再来年には翻訳書を出版して下さるそうだが、待ちきれないので、家に帰って、さっそく注文をしてしまった。
機器展示・ポスター会場では
学会プログラムを手に記念撮影する姿も見受けられた。

2014年6月19日木曜日

日本緩和医療学会始まる(神戸)

 第19回日本緩和医療学会の教育セミナーに参加した。

 午前10時から午後5時まで、神戸ポートピアホールに缶詰だった。45分の講義が7つ。途中何度か休憩をはさんだが、椅子にずっと腰かけて講義を聞くのは、いささか身体にこたえた。
第19回日本緩和医療学会
プログラム・抄録集

 この教育セミナーは、年二回開催されるが、四回通して聞くと緩和医療専門医の資格を取得する際に必要な内容がすべてそろうのだとか。ドクターばかりでなく、ナースや薬剤師も対象としているので、1500名の定員で、会場はほぼ満席だった。

 いずれの講義も面白かったが、川名典子先生の「がん患者とのコミュニケーション —臨死期—」の中の話が、これまでの常識をくつがえすもので新鮮だった。
 コーチングでは、相手に対する共感ないし受容的な態度を示すために、しばしば、相手が言った内容を「オウム返し」に復唱する、という技法がある。






 たとえば、

患者:最近は、がんばっても食事も食べられなくて…弱っているのが自分でもわかります。死んでいくんだなってわかります。
医師:そうですか。食事があまり取れない、よくならないので、死ぬような感じがするんですね。
患者:ええ、このごろもうすっかり気力がなくなって、意気地がないですね。
医師:元気がないので、意気地がないと思うんですね。
患者:もともと意気地のない方なんですよね。みんな親切にしてくれるんですけど。かえって気をつかわれると、申し訳ない気になっちゃって…。
   でも、みんな応援してくれているので、がんばります。

という会話。

 ところが、この会話をロールプレイで演じてみると、患者役をした人の感想は、「自分のつらい症状を医師にくり返されると、よけいに気持ちがつらくなった」、「医師につらい症状をオウム返しに言われると、「あなたは(病気が)悪くなっている」とくり返されているようで、だんだん怖くなってきた」といったもので、「つらい気持ちは分かってもらえないと思った」そうです。そして、「これ以上会話していてもどうしようもないので、「がんばります」といって終わらせた」という感想が上がってきたのだそうです。

 このロールプレイの結果を受けて、川名先生は、臨死期のがん患者との対話においては、「オウム返し」をしないこと、ということを強調されていました。
 それよりも日常的な、普通の会話をする方が患者を元気にするようだと強調されていました。川名先生はご自身の経験で、こんなエピソードを話されました。膵癌の末期の女性患者と話していたとき、ふとしたことから近所にあるピザ屋の話になったことがあった。「あそこのマルゲリータはおいしいのよ」云々という世間話をした後で、「あー、こんな話をしていたら、わたし人に戻ったわ」と患者さんに言われて、ハッとしたそうです。

 このとき、川名先生は「日常生活は患者の人生そのもの」という真実に気づいたのだそうです。痛みの程度がどうかとか便秘はないかとかスピリチュアルがどうとか、ということに気をつかう前に、患者さんの日常に立ち返って会話をすることが、意外に患者さんを元気づけることになるのだ、と指摘されて、目からウロコが落ちたようだった。

2014年6月18日水曜日

映画のハシゴは何年ぶりかしら?

 学生の頃、祇園会館という映画館でビートルズ映画の四本立てというのを友だち四人で見に行ったことがある。

 祇園会館は、八坂神社の向かい側にある映画館で、ロードショーは上映していなかった。封切館でロードショーを終えた映画をたいていは二本立てで上映していた。お金のない学生時代には、おいそれとロードショーには行けなかったので、もっぱら祇園会館に通っていた。
 ビートルズの映画は、「ヤァヤァヤァ」「HELP」「イエローサブマリン」そして「レット・イット・ビー」の四本立てで、朝から夕方までの上映だった。お得感があってよかったのだが、朝から夕方まで映画館の席に腰を下ろしているのは、かなり苦痛だった。(けっこう前の席でスクリーンを見上げるようにして見ていたように記憶している)

 映画のハシゴは、働いているとなかなかできないものだが、今日は、先週公開された「春を背負って」「ノア 約束の舟」を続けて見に行った。
 「春を背負って」は、3000mの立山連峰でのロケで、自然の移りゆく姿が美しかった。ただ、ストーリーは予想通りという感じで意外性がなかった反面、安心して見ることができた。
 ひとつ印象に残ったシーンは、山で足をくじいて立ち往生しているアイちゃん(蒼井優)のところへ、山小屋を営んでいる長嶺勇夫(小林薫)が現れ、助けて山小屋に連れて行ったときのシーン……アイちゃんは、認知症の父親を亡くした後、立て続けに母親が癌で亡くなるときに、妻子のある男性と旅行中だった。身寄りを一切なくした彼女は、父親が肌身離さずもっていた立山連峰の写真を見て、単身立山に登る。が、山で足首をくじいて遭難してしまう。そんな彼女を発見した長嶺は、アイちゃんを自分の山小屋に連れてくる。このとき、いろいろ訳ありな様子だったアイちゃんに、長嶺は何も質問をしなかった。
 いろいろあった過去を問わず、「で、あなたはこの先どうするつもり?」と問う姿勢は、最近はやりのアドラー心理学に通ずるものがある。
 
 人は過去に縛られているわけではない。
 あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。
 過去の原因は「解説」にはなっても
 「解決」にはならないだろう。
  小倉広『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』(ダイヤモンド社)
小倉広『アルフレッド・アドラー
人生に革命が起きる100の言葉』
(ダイヤモンド社)

 がんになった人は、これまでの人生をふり返って、「何でオレががんになんかなるんだ」と嘆き、「何が悪かったのだろうか」と反省するかもしれない。でも、いちばん大事なのは、「で、この先どのように生きようとしているのか」ということなのではないかしら?
 そんな患者さんに対する医療者の関わり方というのは、ひょっとしたら何も聞かずにそばにいる、長嶺さんのような態度がいいのかもしれないのかなぁ…と、映画とは全然関係ないところで考えていた。

 一方の「ノア」は、旧約聖書のノアの方舟の話を元に、創造たくましく作られた映画で、思わぬストーリー展開に圧倒された。
 こちらも、ストーリーとはまったく関係ないことに話が及ぶが、イラ役を演じたエマ・ワトソンについて。彼女は、ハリー・ポッター・シリーズでハーマイオニー役を演じていた。子役から10年近くハリー・ポッターに関わってきて、知名度の高い彼女が、この映画のイラ役を獲得するために、何とオーディションを受けたということを知って驚いた。名声だけでもイラ役を獲得できていたかもしれないのに、オーディションをわざわざ受けた、という彼女の姿勢には感銘を受けた。
 これも映画のストーリーとはまったく関係ないのだが、この彼女の姿勢は、世阿弥の「初心忘れるべからず」という教えに通ずるような気がした。世阿弥は、こう言っている:

 さて、わたくしどもの芸に、あらゆる功徳をひとまとめにした金言がある。それは、
 「初心忘るべからず」
 というのである。これには、三箇条口伝がある。
 「批判基準となる初心を忘れてはならぬ」
 「自分のそれぞれの時期における初心を忘れてはならぬ」
 「老後の初心を忘れてはならぬ」
  世阿弥『風姿花伝・花鏡』[小西甚一訳](たちばな出版)

 小西甚一氏の解説によれば、「芸が完成し名声が確立するのは、能の向上していった到達点なのだが、その「向上」の過程についての自覚反省がないものは、きっと初心時代の未熟さへ逆戻りする…こういうわけだから、現在の自分の芸位を自覚する必要のため、初心時代の未熟さをいつまでも忘れないようにとつとめるのである…年若な役者たちは、現在の自分の芸位をよくよく自覚して、「自分の芸は現在もひとつの初心にすぎない。もうひとつ上の段階の芸を身につけるためには現在のこの初心の境をけっして忘れまい」と肝に銘じなくてはならない。」
イラ役のエマ・ワトソン

 「ノア」のイラ役のオーディションを受けたエマ・ワトソンは、ひょっとして世阿弥を読んでいたのだろうか?

2014年6月17日火曜日

男性はかつらを着けると元気になれるか?

 天外伺朗『運命の法則』(飛鳥新社)の中の「運・不運の法則」という章に面白い話が出ていた。

天外伺朗『運命の法則』(飛鳥新社)

 天外氏の身近に、転職などのチャンスを機に、かつらを着けて、10歳以上若返って見えた二人の人物がいたそうだ。元の職場の同僚がパーティで会っても、名詞を渡されるまで本人だと分からないくらいの変わりようだったらしい。ところが、その後、人生の歯車が狂ったようになり、二人とも数々の不運に見舞われ、元気をなくしてしまったというのだ。むしろ、かつらを着ける前の方が生き生きと飛び回っていたような感じだった。

 天外氏は、この二人に起こった現象を心理学的側面と運命論的側面から分析している。
 心理学的には、かつらを着けるという行為は「自己否定」を形にしたもの、つまり、歳をとって頭が禿げた自分自身を受け入れることができていないことを、外に向かって示してしまったことになる。人間は誰でも、「自己否定」すると行動が萎縮する。
 もうひとつの「運命の法則」によれば、禿げるというのは、加齢ないしは遺伝に伴う、宇宙の自然な流れそのもののであり、ある意味、これは運命とも言える。したがって、かつらを着けるという行為は、その流れに逆らっているということになる。与えられた運命を従容として受け入れると、やがてツキが回ってくるが、それに逆らってジタバタあばれると泥沼に入っていく。
 これらが、身近な二人がかつらを着けてから元気をなくした原因ではないか、と天外氏は分析している。

 不治の病、たとえば「がん」の場合はどうだろうか?死期が迫っても抗がん剤の投与を試みる、あるいは手術にのぞむ、ということは今でも行われている。抗がん剤や手術は、治療効果とともに身体自体にもかなりの負担を伴うものだ。最後まで「がん」を退け、「がん」を治そうとするこれらの治療は、一方では、避けられない死に向かうという「運命」に逆らっていることになるのかもしれない。
 私の義理の父は前立腺がんで亡くなったが、大学病院で新しい抗がん剤ドセタキシルを使ったとき、ショックを起こしたため中断している。後から見れば、この治療が行われたのは、亡くなる二、三ヶ月くらい前のことだった。もっと早く緩和医療を勧めるべきだったと今では後悔している。

 天外氏は、「本当は、運命があなたを見離す、などということは絶対に起きない。運命は常に味方なのだ」と勇気づけている。
 緩和医療、緩和ケアというものは、「運命」を受け入れるところから始まるのかもしれないな、と天外氏の本を読んで考えた。

2014年6月14日土曜日

緩和を普及するコピーはないか?

 今朝は、朝食のデザートにフルーツチーズグラタンを作ってみた。

 チーズケーキのレシピは、いつも柳瀬久美子さんの『チーズケーキ 30』(永岡書店)に頼っている。ニューヨークタイプのチーズケーキを作ることが多いのだが、今日はチーズグラタンに初めて挑戦してみた。クリームチーズにプレーンヨーグルトを混ぜるので、焼き上がりがフワフワになる。
アンズチーズグラタン

 オリジナルレシピでは巨峰の実を入れるのだが、今朝は、実家で獲れたアンズの実を使ってみた。アンズは熱を加えたせいか、生地が甘めだったせいか、かなり酸っぱく感じられた。

柳瀬久美子『チーズケーキ 30』(永岡書店)

 アートディレクターの佐野研二郎さんは、KDDIのキャラクター、リスモやTBSの番組応援キャラクター、ブーブくんを生みだしたデザイナーとして知られている。今日は、佐野さんの『7日でできる 思考のダイエット』(マガジンハウス)という本を読んで、緩和医療や緩和ケアの存在を何とか社会に広く伝える(広告する)方法はないだろうか、と考えた。
佐野研二郎『思考のダイエット』
(マガジンハウス)

 日本の医療の現状は、がんと診断された段階から緩和ケアを始めようと提言されているにもかかわらず、「緩和ケア」「緩和医療」の言葉自体がまだまだ社会に浸透していないのではないだろうか?書店に行っても、「緩和」に関するコーナーが独立していないことが多いようだ。
 来週、神戸で開催される第19回日本緩和医療学会学術大会でも「緩和ケアを理解し、緩和ケアを受けることのできる社会に」と題するシンポジウムが予定されている。これからの社会にとって緩和医療は必要ではあるけれども、まだまだ啓発が足りない、という趣旨の抄録がある。
 たくさんの人々の心に残るような緩和医療のイメージ作りができないものだろうか?

 佐野さんは、コミュニケーションの質を向上させるには、シンプル(単純)・クリア(明快)・ボールド(太い柱)という三つのキーワードが大事だと強調している。
 緩和ケアのシンボルとして、オレンジ色の風船に顔を描いた絵が使われているが、今ひとつインパクトに欠けるようだ。
 自らががんになったときに、「あ、緩和の先生に相談してみよう」とつながるような分かりやすくて、かつ強烈なイメージはないだろうか?

 がんに対する多くの人のイメージは「あぁ、もう助からん」といった感じだろうか?そのときに、がんの治療を続けつつも緩和医療・緩和ケアとともに人生を歩む、といったイメージになるように、と考えていて思いついた一句がこれ…

もうあかん…
そこからはじめる
緩和旅

2014年6月13日金曜日

スコーンはレシピを暗記している

 生地だけ作って置いてあったスコーンを朝から焼いた。お気に入りのメープルウォールナッツスコーンのレシピは、徳永久美子さんの『パンを楽しむ生活』(主婦と生活社)の中にあったもの。何度も作っているので、分量まで暗記しているレシピだ。
メープルウォールナッツスコーン
3.5cmくらいの丸型で抜くと食べやすい。

徳永久美子『パンを楽しむ生活』
(主婦と生活社)

 生地を寝かせる手間を省けば、1時間程度で仕上がってしまうお菓子なので作りやすい。また、味もけっこういけるので、どなたにお出ししても気に入ってもらえるお菓子である。焼きたては、また格別なのだが、これは家に来ていただかないとお出しできない。
 今日は、病院でお世話になった職員の方にお届けした。

『ゴジラ』(1954年)の宣伝用ポスター
 午後は、1954年に初公開された『ゴジラ』(本多猪四郎監督・円谷英二特技監督:東宝)のデジタル・リマスター版の映画を観た。

 以前はビデオで観ていたが、劇場の大スクリーンで観るのはもちろん初めてだった。改めて観なおしてみると、かなりメッセージ性の濃い映画であった。映画の冒頭、漁船がゴジラの「閃光」によって、焼かれて沈没する場面なども、水爆実験の犠牲となった第五福竜丸を思わせる描き方だ。
 当時の復刻版パンフレットを見ても、ゴジラを「水爆大怪獣」と表記している。復刻されたパンフレットの中にも「この映画は単なる空想映画ではない水爆実験時代の人類が逢着した最後の悲劇を異常な迫力で描いた問題篇なのだ」「★現代人の水爆恐怖症を見事に視覚化した、空前絶後の科学空想映画との記述がある。

 三度にわたって、原水爆の惨禍に見舞われた日本は、1954年当時、映画『ゴジラ』を通して世界に原水爆廃絶を訴えるメッセージを発信した。ゴジラ生誕から60周年を迎える今年、ハリウッドがゴジラをリメイクする。これは、「平和利用された原子力」の事故によって自ら招いた放射能汚染(福島第一原発事故)を受けてのムーブメントなのだろうか?
東京に上陸しようとするゴジラのスチール写真

2014年6月12日木曜日

スピリチュアリティと医療

 朝からバナナチーズケーキとキャラメルチーズケーキを作る。
 バナナチーズケーキの方は、思惑通りの仕上がりだったが、キャラメルチーズケーキの方は、攪拌の最後の段階で分離してしまい、焼くと型の底から液体がダラダラと漏れてきてしまった。どうやら、脱乳化のような現象が起きてしまったらしい。焼き上がりの断面も気泡だらけで人前には出せそうにない。要再挑戦。
バナナチーズケーキ(合格)

キャラメルチーズケーキ(不合格)

 夜は、清水寺の大講堂・洗心堂へスピリチュアル・ケアに関する講演会を聞きに行った。講師は、ドイツ人のエッカルト・フリック氏。医学と哲学と神学(あと法学を学べばファウスト博士と同じだ!)を修めている、スピリチュアルケア担当教授である。
清水寺山門。この左手に講演会会場がある。


 日本人の過半数は「無宗教」である。しかし、ほとんどの人はご先祖さまを大切にしている。自然界に何やら「人知を超えた存在」を意識しつつも、「内面的な世界」や「霊的な世界」については、日ごろはあまり深く考えようとしていない。
 …というような日本独特の文化的環境の中では、緩和ケアにおいて患者のスピリチュアルケアに関わる、というのはなかなかむずかしいことかもしれない。

講演をするエッカルト・フリック氏。


 でも、講演の最後に、フロアのコメンテーターからいただいた言葉に元気づけられた。

 曰く「まず、あいさつをしましょう」と。
 医療者側は患者よりも強い立場にあることを意識し、病室などに入ったときは医療者側からあいさつをして、まず上下関係をなくしましょう、という指摘は新鮮だった。コーチングでいうところの「承認(アクノレッジメント)」のようなものだろうか?
 次に、「患者の歩んできた人生を知ること」
 これについては、フリック先生の講演でも「personal historyが中心にくる」という説明がなされていた。
 それから、次は「ご飯」。これまた意外な指摘だった。つまり自分が生かされている元になっている食物や環境について理解する、ということのようだ。確かに、「ご飯」のことを考えれば、今の自分を生かしてもらっているすべてのモノに対して感謝の気持ちが湧いてきそうだ。
 そして、最後は「内面的な生活について自らの頭で考える習慣をもつ」ということ。例を挙げておられたのは、たとえば、採血されているとき、ただ検査をするためと考えるのではなく、この血の中にはその人の命がつまっている、と考える。あるいは、飲む薬の中には希望がある、という風に考える。
 以上のようなことを習慣にしていけば、自らの「内面的な力」が養われていくということだ。

 スピリチュアル、というと何かの宗教的な理解が必要なのでは?などと思われがちだが、大事なのは信仰よりも信念なのだそうだ。

2014年6月9日月曜日

人はなぜ動物に癒されるのか

 鳥羽水族館に行ってきた。小学校の修学旅行以来だったので、ほとんど初めてという印象だったが、なぜか多足ダコの標本だけは記憶に残っていた。ただ、この多足ダコ、現在は、昨年夏にオープンされた「へんな生きもの研究所」というコーナーに収められていた。
鳥羽水族館エントランスホール
多足ダコの標本
小学生のときに見たのと同じ標本のような気がする


 鳥羽水族館には魚類ばかりでなく、水に関連した動物も他種集められていた。ビーバーやカワウソまでは納得できるが、フラミンゴやカピバラまで飼育されていたのは意外だった。
 ラッコの食事タイムのときに、見ていた女性陣から、しきりに「可愛い〜」という声があがっていた。カワウソも二匹が寄り添って寝ていたが、確かに心が癒される顔つきだった。
 
二匹が寄り添って寝ているカワウソ

 一般の病棟では、ペットの持ち込みは論外だが、一部のホスピスなどではペットの「同伴」が許されているところがある。緩和ケアにおける「癒し」の手段のひとつと考えられているが、人はなぜ動物に癒されるのだろうか?
 動物であれば何にでも癒される訳でもない。大きなワニやキバをむいたトラでは、身の危険を感じてかえって落ちつかないかも知れない。では、どのような動物に癒されるかと言えば、フワフワした温かくて優しい感じで、襲われる心配がないような動物だろう。ライオンやトラでも、赤ちゃんであれば癒しの対象となるかも知れない。
 こうした動物は、人にストレスを与えず、かえって保護してあげたいという気持ちを起こさせるのではなかろうか?そして、このような感情の元にあるのは、オキシトシンというホルモンではないだろうか?
 ペットの犬と目を合わせるといった刺激でもオキシトシンが放出されるそうだ。また、オキシトシンには不安様行動を低下させ、うつ様行動を減少させる効果もあるという。(尾中達史氏『ホルモンと臨床 59 (5) : 9 - 15 (2011)』)こうしたストレスを緩和する効果を「癒し」と表現するならば、オキシトシンは「癒し」効果を引き出すホルモンであると言ってよいかも知れない。
フィリピンのパラワン島で保護された、
生後半年くらいのジュゴンのセレナは
1987年に鳥羽水族館まで運ばれて、今も元気にしている

 だとすれば、緩和ケアにおいても、オキシトシンの放出を促すような試みを取り入れることは、患者さんのストレスを軽減するという観点からも意味のあることかもしれない。
 ポール・J・ザック氏は、オキシトシンはハグすれば放出される、と主張して、自分自身で会う人会う人に抱きついているそうだ。(ポール・J・ザック『経済は「競争」では繁栄しない 信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学』[ダイヤモンド社]
 抱きつくまでしなくても、オキシトシンは、マッサージするだけでも放出されるという。だとすれば、緩和ケア病棟において、患者さんの身体に触れるという行為は、オキシトシン分泌という観点から、案外重要な意味をもっているのかも知れない。患者さんに触れる機会は、ナースの方が圧倒的に多きかも知れないが、ドクターも、脈をとったり、下肢の浮腫を診たり、腹部を触診したりする行為をおろそかにしてはいけないのかもしれない。

 …というようなことを、帰りの伊勢志摩ライナーの中で考えた。

2014年6月8日日曜日

海外からご遺体を運ぶという仕事がある

 6月7日(土)は、ここでの最後の日当直。

 過去のジンクスでは、その病院での最後の仕事のときにドカンと大きな症例が入ったり、重症例が入ったりしていたので、少しかまえて緊張しながらの勤務だった。幸い、小児の腹腔鏡下虫垂切除術のみで、平穏な日当直を終えた。

 仕事の合間に、佐々涼子『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)を読んだ。国際霊柩送還士とは、海外で亡くなった方々のご遺体が日本まで運ばれてきたときに、ご遺体を修復して遺族の元に届ける仕事である。
佐々涼子『エンジェルフライト』
(集英社)

 著者の佐々涼子さんは、国際霊柩送還士の仕事をしている、エアハースという会社の取材をして、日本人としての「死」のとらえ方に気づいたという。家族が国外で不幸にも命を落としてしまったとき、どんなに破損した体であっても、たとえ体の一部でも、遺族は亡くなった家族を日本に連れ帰ってほしいと望んでいる。
 さまざまな国から日本に帰されてくるご遺体は、国によってさまざまな姿なのだそうだ。アメリカのようにエンバーミングという死後の腐敗処置をされたご遺体は保存状態がよいが、ドライアイスを入れただけのご遺体は、「貨物」として飛行機で運ばれてくる間に、腐敗が進み、皮膚の色も変色しているという。さらに、事故で亡くなるとご遺体の損傷がひどくなっていたりする。海外で亡くなると、現地で解剖されたりするので解剖痕が残っている。
 こうした傷んだご遺体に手を加えて、故人の生前の姿に戻してから遺族の元に送り届けるのが、彼らの仕事なのだ。

 著者は、死後の魂や死後の世界を信じていない日本人であっても、家族が海外で亡くなったときには、「まず間違いなく亡くなった人が異国で「さびしがっている」ち思い、日本に「帰りたがっている」と感じるに違いない」、「要するに人々は、死後の世界などはないと口では言いながらも、亡くなった人の心は亡くなったあとにもまだ存在していると心のどこかで信じているのだ」と言う。

 昨今の葬儀のあり方についても著者は疑問を投げかけている。著者によれば、「葬儀は悲嘆を入れるための「器」だ。自らの力では向かい合うことができない悲嘆に向き合わせてくれるためのしくみなのだ」そうだ。そして、著者自身の体験を重ねて、「弔い損なうと人は悔いを残す」と述べている。
 「いったいこの時代の我々にとってどんな弔いが必要なのか。あるいはこの国にとってどんな弔いが必要とされているのか。我々は一度ここで立ち止まり、考えてみる時期に来ているのではないだろうか。…悲嘆を癒すためにはいったいどのようなことを我々はなすべきなのか」と、本の最後で著者は問いかけている。

 緩和ケアでも、よくグリーフケアが大切だと言われる。ときに看取りをしなければならない医療現場であるゆえに、医療者は弔い損ねることがないように配慮しなければならないのだろう。

2014年6月5日木曜日

死のメンタルヘルス

 緩和医療に興味をもつと、「死」に関する本に目が行くようになってくる。

 中澤正夫『死のメンタルヘルス 最後に向けての対話』(岩波書店)も、先日新聞の広告で見かけて購入してしまったものである。中澤氏は、精神科医で今年で77歳になる。中澤氏は、54歳のときに『「死」の育て方』を著している。そのときの結論は、「死はいよいよそれが来たときに考えればよい」「「良き死」とは、己の死に参加すること」というものだったそうだ。
 その後の二十数年の間に、氏の死生観は大きく変わった。いろいろな出来事があったが、一番インパクトが大きかったのは、ご自身が心筋梗塞で死の一歩手前まで行ったことと、2011年の東日本大震災とそれにともなう福島第一原発事故であったという。

 今でも氏は無神論者で、「あの世」や「向こう側」の世界は信じていないそうだが、『死のメンタルヘルス』の第4章「「上手に家で死にたい」—「終活」をまっとうした看護師」の中で、「死のプロセスは「生命体の死」では終わらない」と述べている。「一人の死は、その人が住んでいた世界、接していた人にいろいろな変化を与えていく。その変化を含めて論じなければ「死を語った」ことにはならない」のだ、と。


 この考え方には共感できる。一人称の死については、生きている本人の意識がなくなるので、「それ以降の世界」があろうがなかろうが、生きている間には知るすべがない。しかし、残された二人称あるいは三人称の人々にとっては、かつていた「その人」が、この世から消滅してしまったということから始まる新しい世界は、もはや「その人」がいたときの古い世界のあり方とは異なっているはずだ。
 中澤氏は、これを「変化が来る、その人抜きの再構成がはじまる」と表現している。

 してみると、死んだらどうなるのだろうとか、自分は天国に行けるのだろうか、などと悩んでいるよりも、周りの人たちにどのように記憶しておいてもらえるかに心を配らなければならなくなるのではなかろうか。これは、自分の「死」を一人称でとらえるのではなく、三人称でとらえるような感覚だろうか?
 こういう三人称的な「死」のとらえ方は、果たして死の恐怖からのがれる手立てとなるだろうか?

2014年6月2日月曜日

レプリカントの怒りとキュブラー・ロスの「怒り」

 ハリソン・フォードが主演した、『ブレード・ランナー』(1982年アメリカ映画:リドリー・スコット監督)には、人間そっくりのレプリカントが登場する。彼らは、遺伝子工学の力で造り出された人造人間で、見た目は人間そっくり。しかし、人間をはるかに凌ぐ力、敏捷性、忍耐力、知力を備えている。彼らは、地球外での危険な作業や雑用、不快な作業をするべく、人間の”奴隷”として造られているが、レプリカントは造られてから4年で死ぬようにプログラムされている。
 銀河系のかなたの現場から逃亡した数名のレプリカントが地球に潜入する。そして、ブレード・ランナーのデカード(ハリソン・フォード)は彼らを処分するためにロサンゼルスの街をパトロールする。
『ブレード・ランナー』
1982年米:リドリー・スコット監督
ハリソン・フォード主演

 映画の中で、脱走したレプリカントのリーダー格のロイが自分の「製造年月日」を知ろうとして、科学者や技術者に近づく場面がある。製造年月日が分かるということは、彼らが死ぬ日が分かるということになるのだ。そして、「寿命」を延ばすように、彼らを製造したタイレル社の社長に迫る。ところが、社長に「寿命の延長は無理だ」と言われて、ロイは「怒り」のあまりタイレル社長を殺してしまう。
 このロイの「怒り」は、キュブラー・ロスの「死の受容」における「怒り」と同じだろうか?キュブラー・ロスは、がんの宣告を受けたときに人が示す反応として、「否認・怒り・取り引き・抑うつ・受容」という段階があると言っている。この「怒り」は、「なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階」であるとされている。
 レプリカントは、自分たちが4年で死んでしまうことを知っている。そして、ロイは寿命を延ばせないと知らされたときに怒りを爆発させている。もし仮に、彼らの寿命が人間並みに、80年前後に延ばせていたとしたら、ロイの怒りは収まっていたのだろうか?”奴隷”としての生活がさらに延長されるだけだとしても、やはり彼は寿命の延長を望んだのだろうか?

 ……問題は、「寿命=命の永さ」ではないような気がしてきた。

 人間は、自分の死期を明確にされたときに怒りを覚えるのではないだろうか?いつかは死ぬ存在である、ということをわれわれは常日ごろは忘れていることが多い。それを「余命一年です」とか「あと数ヶ月の命です」と言われると、「他人に自分の寿命を決められてたまるもんか」と、頭に来るのではないだろうか?

 だとすると、ロイの「怒り」も、レプリカントがもう一歩人間に近づいた証しだったのかもしれない。

2014年6月1日日曜日

とりあえず、マカロンを作ってみた

 次の職場に変わるまで、残っていた有給休暇を使って、少し自由な時間ができた。
 しかし、いざ時間に余裕ができても是非ともしてみたいという事があまりないことに気づいた。動物園に行って100枚のクロッキーを描く、新薬師寺に十二神将像を見に行く…その他これをしたいということが特別思い浮かばないのだ。

 とりあえず、今日は以前から作ってみようと目論んでいたマカロンを作ってみた。

本橋雅人『かわいいマカロン』
(日東書院)
参考にしたレシピは、本橋雅人さんの『かわいいマカロン』(日東書院)の中の「基本のマカロン」および「基本のバタークリーム」。準備は2、3日前から始めていた。というのも、レシピに「卵白を…冷蔵庫に入れて2、3日おく」とあったので。何でもしばらくこうして卵白を置いておくと卵白のコシが弱くなって、泡立ちがよくなるのだそうな。

 生地ができあがって、クッキングペーパーの上に絞り出すと、思っていたよりも柔らかく、予想の1.5倍くらいの直径にだらりと広がってしまった。
 昨日から急に昼間の気温が上昇し、猛暑日のようになっていて、今日も室内の温度が30℃前後になっていたので、生地が柔らかくなってしまったのか、あるいはメレンゲの状態がそもそもゆるすぎたのか…。まだまだ研究の余地がありそうだ。

 それにしても、本橋パティシエのレシピは、材料の分量が細かかった。
 マカロン約10個分で、卵白は50gなのだが、これを33gと17gに分けておかなければならない。これは、後にメレンゲと粉(粉糖とアーモンドパウダーをミックスしたもの)を混ぜ合わせるときに、卵白を少し残しておくと粉類と混ぜ合わせやすいためだからなのだそうだ。
 「基本のバタークリーム」の材料でも、無塩バター113g、グラニュー糖32g、とかなり指定が厳しい。
 しかし、その分、作り方も細かい点まで親切に書いてくれていたので、あまり迷わずに作ることができた。
形はイマイチだが、味は確かにマカロンだった。