2014年6月12日木曜日

スピリチュアリティと医療

 朝からバナナチーズケーキとキャラメルチーズケーキを作る。
 バナナチーズケーキの方は、思惑通りの仕上がりだったが、キャラメルチーズケーキの方は、攪拌の最後の段階で分離してしまい、焼くと型の底から液体がダラダラと漏れてきてしまった。どうやら、脱乳化のような現象が起きてしまったらしい。焼き上がりの断面も気泡だらけで人前には出せそうにない。要再挑戦。
バナナチーズケーキ(合格)

キャラメルチーズケーキ(不合格)

 夜は、清水寺の大講堂・洗心堂へスピリチュアル・ケアに関する講演会を聞きに行った。講師は、ドイツ人のエッカルト・フリック氏。医学と哲学と神学(あと法学を学べばファウスト博士と同じだ!)を修めている、スピリチュアルケア担当教授である。
清水寺山門。この左手に講演会会場がある。


 日本人の過半数は「無宗教」である。しかし、ほとんどの人はご先祖さまを大切にしている。自然界に何やら「人知を超えた存在」を意識しつつも、「内面的な世界」や「霊的な世界」については、日ごろはあまり深く考えようとしていない。
 …というような日本独特の文化的環境の中では、緩和ケアにおいて患者のスピリチュアルケアに関わる、というのはなかなかむずかしいことかもしれない。

講演をするエッカルト・フリック氏。


 でも、講演の最後に、フロアのコメンテーターからいただいた言葉に元気づけられた。

 曰く「まず、あいさつをしましょう」と。
 医療者側は患者よりも強い立場にあることを意識し、病室などに入ったときは医療者側からあいさつをして、まず上下関係をなくしましょう、という指摘は新鮮だった。コーチングでいうところの「承認(アクノレッジメント)」のようなものだろうか?
 次に、「患者の歩んできた人生を知ること」
 これについては、フリック先生の講演でも「personal historyが中心にくる」という説明がなされていた。
 それから、次は「ご飯」。これまた意外な指摘だった。つまり自分が生かされている元になっている食物や環境について理解する、ということのようだ。確かに、「ご飯」のことを考えれば、今の自分を生かしてもらっているすべてのモノに対して感謝の気持ちが湧いてきそうだ。
 そして、最後は「内面的な生活について自らの頭で考える習慣をもつ」ということ。例を挙げておられたのは、たとえば、採血されているとき、ただ検査をするためと考えるのではなく、この血の中にはその人の命がつまっている、と考える。あるいは、飲む薬の中には希望がある、という風に考える。
 以上のようなことを習慣にしていけば、自らの「内面的な力」が養われていくということだ。

 スピリチュアル、というと何かの宗教的な理解が必要なのでは?などと思われがちだが、大事なのは信仰よりも信念なのだそうだ。

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